世界は楽しみに満ちている。

ヨーロッパ在住の会社員の雑記帳です。ジャンル問わず好きなこと書いてます。

「育児休暇」は当然の権利か否かと言う議論について

少子化に歯止めがかからない中、少しでも子育てのしやすい環境をつくり出そうと様々な取り組みが始められている昨今ですが、いつも通りはてぶサーフィンをしているとこんな記事を発見。

育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈「働き方の多様化」では済まされない取得者たちの軽さ

要約すると、ひとえに「今の若者はあまりにも安直に育休を取得する=育休を当然の権利だと思っている」というポイントを問題視しているというお話。ややヒステリックな口調で議論が展開されているのですが…世代間の価値観のギャップなのか自分にはどうも解せない点が多いです。

確かに、仕事のことそっちのけで育児を理由にイイトコ取りだけしようというスタンスは良くない。それは非常に共感出来ます。働く気がないなら、育児休暇取るんじゃなくてさっさと辞めてしまえという話ですもんね。でもこの記事からは、そんなことではなくどうしても越えれない価値観の壁というものを感じずにいられません。

まずは下記の一文。

「育休だの、時短だの、ワークライフバランスだの、あれやこれや制度ができるのは悪いことだとは思いません。でも、会社員なんですから与えられている仕事の責任を全うして、初めて権利を主張すべきだと思うんです。なのに、最近の若い世代は、明らかに仕事よりも家庭の優先順位が高い。仕事から逃げてる。私にはそういうふうにしか思えないんです」

なるほど。では続けて読んでいきましょう。「育児」を特権のように振りかざす人が増えているという主張に続き、こんな一文が出てきます。

 「なぜ、若い女性たちは母親の代わりはいないと断言し、仕事の代わりはいて当然と信じ込んでいるのでしょうか。何か違うんじゃないかって、思えてなりません。休んだ彼女たちの仕事は、誰かが穴埋めしなきゃいけない。だったら、子育てに保育園とかベビーシッターとか、公的な機関も含めて利用して、できる限り早く仕事に復帰すべきです。たとえ自分の稼ぎのほとんどが子供を預けることに使われることになったとしてもです」

これはその通りで、休んだ人たちの仕事は他の人が代行しなければいけません。それは事実。しかしながら、こういう言い方をされると「じゃあ他の人の負担を考えて子どもの数を減らせっていうんですか?」と言いたくなります。公的な機関を利用して早く仕事に復帰…とありますが、周知の通り皆が皆保育園に入れるわけではありません。待機児童は2011年4月時点で2万5千人以上。仕事に復帰したくても、子どもの預け先がなく休職を続けざるをえない人もたくさんいると思います。金銭面の都合により家庭に残らざるを得ない母親もいることでしょう。そういった各自の事情も考慮せず、おしなべて「早く仕事に復帰すべき」とする論調はいかがなものかと感じます。

更に続いてはこのようなコメントが。

実は、彼女自身も、産休と育休を利用している。しかし、制度をフルに利用すれば出産前後で1年半以上も休むことができたにもかかわらず、出産予定日の3週間前まで働き続け、産後10週間で復帰したそうだ。

 「子育ては大切。でも、自分はしょせんサラリーマン」――。こんな思いがあったから、そうしたと言う。「サラリーマンの義務」を、できる限り果たそうとしたわけだ。

 ところが、最近はその「義務」を果たそうとしない人があまりに多く、「子育て」という、誰も反論できない理由を盾にする社員たちに、ほとほと嫌気が差していた。そこに、「仕事の代わりはいても、母親の代わりはいない」との発言が、とどめを刺した。

 子育てのために会社があるわけじゃない――。

 子育てと仕事を両立してきたという自負があるだけに、聞き流すことができなかったのだろう。

ここまで読んで気づいたのが、そもそも上記のコメントが発せられた背景というのが、「自分は苦労したのになんで今の子は楽ばかりしているんだ」というある種の嫉妬心から来ているものではないのか、ということです。

個人的に一番びっくりしたのが「しょせんサラリーマン」とか「サラリーマンの義務」という言葉で、自分ら世代からすると多分相当違和感のある言葉なのではないでしょうか。もちろん労使の契約があるので勤めを果たすのは当然ですが、雇用者と労働者はあくまで対等な関係で、本来はその契約が家庭等プライベートな生活を過度に束縛するものであってはならないのではないでしょうか。「サラリーマンの義務」といった言葉はいかにも日本人の社畜万歳的な風土に根ざした考え方であり、サラリーマンがとにかく仕事に没頭して滅私奉公するのは、個人にとっても会社にとってもよくないことであるはずです。そして、「育児を早く切り上げて仕事に復帰しろ!」という考えは、そういった日本的な価値観の押し付けに他ならない…とどうしても感じてしまうのです。

繰り返しますが、育児という権利を振りかざして仕事の手を抜くのはもっての他です。社会人として常識はずれの行為でしょう。

しかしながら、育児休暇を取得する社員が全てそのようなモンスター社員ではなく、むしろ育児と仕事を両立させたいという思いからこの権利を行使する人がほとんどだと思います。そんな社員を、「周りの人のことも考えないで…」と批判することはどうも解せません。そもそも、育児を頑張ってる人が「カバーしてくれている人たちの気持ちを軽んじている」という論拠はどこにあるのでしょうか。

代わりに仕事を回すのは辛いということはその通りなのですが、批判すべき対象は育児休暇を取ったり時短で早く帰る人たちではなく、むしろそれを何とかしようとしない会社のマネジメント、あるいは待機児童など育児にまつわる問題をなかなか解決できない行政であるべきです。5人のチームから1人抜けると5人分の仕事を4人で回さないといけませんが、例えば休職者に在宅勤務を許可して一部業務のフォローに入ってもらったり、一時的に社員を雇う、配置換えを行う、などをして他のメンバーの負担を軽くすることは会社の裁量でいくらでも出来ることです。

何でもかんでも「最近の若者は…」と批判から入る前に、まずは本当のあるべき姿は何で、それに向けて何をすれば問題を解決することが出来るのか、という検証作業を行っていくべきなのではないでしょうか。

とまぁそんな感じで読み進めていたのですが、最後の最後でようやく意見が合いました。

ここまでやる覚悟を持てる会社は、どれほどあるのだろうか。その覚悟もないままで、「男性も育休をもっと取りなさい」「女性も育休や時短勤務をもっと取りなさい」といった聞こえの良いことばかりを並べるのは、どうなのだろうか。

 すべてがトップの責任と言うつもりはないけれど、単に「価値観や働き方の多様化」という思考停止ワードで片付けてはいないだろうか。

(中略)

だからこそもっともっと根本的に、会社のあり方、働き方、働かせ方を、考えなきゃいけないんだと思う。「価値観の多様化」や「働き方の多様化」といった思考停止ワードを使わないで、とことん正面から考えないと、どんなに良い制度も機能しないし、人間関係だって悪くなる。

これは本当にその通りで、こういった不満の出てくる根本的な背景は企業のマネジメントそのものにあると思います。これからは世代間の価値観のギャップだけではなく、外国人社員との文化的な価値観の違いなど解消しなければならない課題も多く、ダイバーシティマネジメントの意義が一層に深まってくると思います。育児休暇だけでなく、介護休暇を取る中高年の方達も増えてくるでしょうしね。

育児休暇は、優秀な社員の雇用維持という観点から間違いなく企業にとってメリットの大きいものです。そのことを会社のトップが十分に認識した上で、各社よいマネジメントを展開していくことができれば、もっとみんながハッピーになれる環境づくりが出来ると感じます。


以上。

Nintendo 3DS 500万台突破:任天堂の新の正念場はここから始まる

ニンテンドー3DSが国内最速で500万台を達成したとか。

速報:ニンテンドー3DS が国内販売 500万台を達成、国内ゲーム機史上最速の52週

最近一時期とは打って変わり、めっきり良いニュースを聞かない任天堂が頑張ってくれているニュースを見ると、一ゲームファンとしてはとても嬉しくなります。ソーシャルゲームの影響で従来型のゲームは云々と言った論調をよく見かけますが、大切なのは、

コンテンツ×価格

のバランスです。ソーシャルゲームが流行っているのは、シンプルに語ると中毒性のあるコンテンツをとっかかりやすい形で顧客に訴求していることにつきると思います。一方でニンテンドー3DSが昨年までふるわなかった理由は、コンテンツ不足とそれに対する価格が見合っていなかったことに尽きると思います。昨年末に値下げを敢行し、良質なコンテンツを立て続けにリリースしたことを考えると、3DSの販売の伸びは当然と言えるでしょう。

下記は先ほど紹介したリンク先にも転載されている、ニンテンドーが発表したその他ハードとの売り上げ推移の比較です。

ニンテンドー3DSが発売したのが2011年の2月末で、値下げを行ったのが同年8月11日。週に換算すると大体24週くらいでしょうか。グラフと見ているとそのタイミングで一度くいっと販売台数が伸びているのが分かります。そしてモンハン3Gなどビッグタイトルが発売され出したのが大体40週目頃。見事なまでにそれぞれのきっかけと売り上げ推移が一致しています。そして販売は一気に加速し、ゲームボーイアドバンスの持っていた記録を追い抜いた…というわけです。

しかしながら、販売台数が伸びているからといって当然安堵できるわけではありません。1万円の値下げを行っているということは、当初想定していた利益と大幅なギャップが開いているということ。グラフを見る限り値下げまでに約130万本くらい売れていたみたいなので、それぞれの価格で500万台売った時の売り上げのギャップは1万円×370万で370億円…途方もない金額ですね。一台当たりの粗利額は分かりませんが、おそらく赤字と言われているので、先日の赤字発表は値下げの影響を大きく受けていることが想定されます。

というわけで、任天堂としては、ここで気を抜かずようやく普及しだしたプラットフォームをいかにして活用して、利益を回収していくかに注力しなければいけません。つまり、とにかく魅力的なソフトをたくさんリリースして、お客様に買って頂くこと。

これについては、下記の記事に赤字の背景とともに今任天堂が行おうとしていることがまとめられていました。

絶好調の3DSが販売不振で任天堂赤字の謎
※タイトルに”謎”とありますが、そんなに謎なことはないと思いますが。。

任天堂としては、

1) 本体のコストダウン
2) 追加コンテンツのオンライン配信など新たなビジネスモデルの導入

などを目指している様です。

コストダウンの目処はついているとのことですが、コストダウンはこれから先のモデルの逆ざや解消にしか役に立たないので、やはりキーとなるのは記事中にもある通りいかにしてサードパーティのソフトを普及させていくかに尽きるでしょう。最近VITAで重力センサーを利用したゲーム『GRAVITY DAZE』というゲームが流行ってますが、正直、3DSという筐体では3Dを活かしたゲームというのは考え辛いと思います。

なので、キャラデザやストーリー、ゲームシステムや世界観に拘ったコンテンツを地道に作り上げ、既存のチャネル以外(オンライン等)でも販売していくのが一番の近道になるのでしょう。入り口の敷居を低くするために

とにかく、本当の正念場はここからです。ソーシャルゲームなんかに話題負けせずに頑張ってほしいものです。


以上。

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モンスターハンター3G

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金融資本主義を超えて -僕のハーバードMBA留学記

金融資本主義を超えて―僕のハーバードMBA留学記 (文春文庫)

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■ ルポルタージュとして読むと面白い

どこかのサイトのリンクを辿ってきて出会った一冊。先日見事上場を果たした、ライフネット生命の副社長、岩瀬大輔氏の著作です。

全然知らなかったのですが、『ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて』を書き直した文庫版なんですね。ソフトカバーの方はAmazonの書評を見ていると賛否両論でしたが、ルポルタージュとして読むと面白いと思います。HBSでの友人とのやり取りから始まり、授業の一こま、異文化経験、ファンドでのインターン、三木谷さんとの会食、アントレプレナーシップ、社会起業、株主至上主義などなど、現地で著者が体験をし、感じたことが率直な言葉で下記綴られています。元がブログということで全体の構成にまとまりはありませんが、留学を考えている人は雰囲気を感じ取るのに非常に参考になる一冊なのではないでしょうか。

■ MBAなんて意味がないという議論について

MBAといえば、特にHBSなどトップ校の卒業生が世界の各国で活躍されていることはとても有名で、投資銀行ファンドで働きたいという人や、起業を目指す熱い思いを持った人たちが集まるイメージが強いですが、それにかかる費用は一般的に2000万くらいと言われています。留学するとなれば人生においてもかなり高額な投資になるわけですが、昨今はこの費用対効果に疑問を唱えるような記事も散見します。一時期のMBAバブルとは違い頑張って修了しても就職で有利に働かないだとか、MBAで学べる知識は全て本やネットで学べることだ、といった論調です。

しかし、こういったMBA体験記を読んでいると、上記のような指摘は的を外したものであると分かります。MBAの真の意義は、知識ではなく『体験』そのものなんだなーと感じるのです。著者の経験を見ても、様々なバックグラウンドを持った色々な国の出身者と一緒にチームを組んで議論をし、優秀な教授に教えを請いながらいくつものケースを詰め込みで勉強をする…といった経験は本やネットでは絶対に得られません。良い職につけるわけではないという指摘についても、キャリアアップだけを目的に『MBA』というブランドだけ取っておこうという人に対しての反論としては有効ですが、MBAの本質は別のところにあるのかと。

もっとも、生かすも殺すも本人次第で、MBAを修了しても使えない人材はいくらでもいるということは自明ですが、自分を成長させるツールとしては最高の環境なのではないかと思います。


■ エリートとワークライフバランス

本書を読んで印象に残っているのがこのポイント。話の中で、著者の友人で死の床についている成功した経営者のカウンセリングを行っている女性が、そういった人たちは誰一人として「あぁ、自分の人生、仕事を十分にやり遂げられなかった。もっと仕事に時間を使っておけば良かった。」とは言わないという話が出てきます。そりゃあ十分に仕事をやり遂げたから成功をしているわけですが、ここで言うのはそう言う意味ではなく、多くの人が「仕事ばかりに時間を取られて、自分の時間を家族のため、自分のために十分に使えなかった」と嘆く、というお話です。

MBA(というかHBS)を『不幸な人間の製造工場』と鋭く指摘した書籍もありますが、せっかく壮大なビジョンを持って経営学を学び、それを仕事に活かせたとしても、仕事にのめり込み過ぎてワークライフバランスを見失ったしまえば、たとえ大金を手に入れたとしても人生の充足は得られないはずです。日本でもようやくワークライフバランスの考え方が注目され始めてきましたが、この点はMBA卒業生だけではなく万人が肝に銘じるべきところだと考えます。

このことは、後書きに著者が書かれている下記のフレーズにも関係していると思います。

「留学するまでの自分は、いつも通過点にいるような気がして、早く次の地点へたどり着きたいと思っていた。しかし、留学をきっかけとして、人生は旅そのものであることに気がついた。A地点からB地点へと、少しでも早くたどり着こうとすることが目的ではない。大陸を鉄道で旅するように、車窓から見えてくる美しい景色、聞こえてくる音、入ってくる匂いを味わい、ともに旅をしている同乗者との対話を楽しむ。その一分一秒が、旅そのものなのである。」

まさに本書で言いたいことはこの一節にまとめられていると感じるのですが、要は目的を達成するための生き方をしていると、上記の経営者の例のようにそれ以外のことに目を向けられず、目標を達成した後に何も形として残らないのです。

人生は本当に些細なことを含めた、毎日の営みの積み重ねです。何一つ犠牲にして良いことなんてない。そういった考えを持つ自分にとって、上記のあとがきの言葉は非常にしっくりときました。

人生という旅そのものを楽しむ。

この考え方を、自分も大切にしていきたい。


以上。


*関連図書*

ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて

ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて

ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場

ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場

凡人が3年で『頭の良い人』に生まれ変わるための方法を考えてみた

ここ数年、自分の中で『いかにして頭を良くするか』というのが大きな課題であります。

周りに数人はいる『この人すげー』という人。一体自分との違いは何なのか…と考えたことがある人は非常に多いことでしょう。

『頭の良い人』とはまた凄く曖昧な言葉ですが、自分の周りにいる『頭の良い人』は大きくわけて次の2つのタイプが存在します。

1. 頭の回転がとにかく早く、一を聞いて百を知るタイプ。ロジックを自分で組み立てて鋭い指摘をすることが出来る人。
2. 知識量がとにかく多く、どんな問題に直面しても類似例を探してきて適切なフレームワークで問題に対処することが出来る人。

要するに『天才タイプ』『秀才タイプ』ですね。

仮に凡人が『頭が良くなりたい!』と思ったとして、上記のどちらのタイプを目指すべきか。

個人的には、凡人は決して天才にはなれないと思います。人間脳の作りは誰しも同じといいますが、同じ授業を受けても理解度の早い人と遅い人がいる。小さい頃からの教育の違いといえばそこまでですが、仮に生まれた時から同じ教育を受けさせたとしても、知的レベルは各人によって異なってくるのではないでしょうか。そういう意味で、天才タイプは少し特殊な技能、ハンターハンターでいうところの『特質系』、ワンピースでいうところの『覇王色の覇気』の資質を有する人だけが持った能力だと思うのです。レオリオが緋の目にはなれませんし、ヘルメッポが覇王色の覇気を使いこなせたりはしませんよね。

なので、凡人が『頭の良い人』を目指す場合、間違いなく後者の『秀才タイプ』を目指すべきなのです。

***

では、いかにして自分の頭の中をブラッシュアップしていけるのか。

まず最初に『秀才』と呼ばれる人の小さい頃からの生活習慣を考えていきましょう。

一般的に、頭が良い人の多くは小さい頃から多くの本を読んでいる傾向があるとよく言われます。本当かどうかはしりませんが、確認するのも面倒なのでここではとりあえずそれが本当だという前提で話します。(実際そういう人も周りにいるので、あながち外れてはいないということにしておく)

例えば、秀才タイプの人は中学生に入った頃から大学生や社会人が読むような本を読み始めると仮定します。ざっくり1日平均2時間読むと想定して、それを社会人まで続けるとする。13歳から22歳までなので、ちょうど期間は10年です。1年を365日として、1日2時間を10年続けると、読書時間の合計は『7300時間』ですね。

自分はここに着目してみました。

そう、この7300時間を3年でこなすことが出来れば、凡人でも秀才に変身できるのではないか、と。
(頭が良くなる要素は読書だけじゃなくて学校の授業や自主学習も含まれるやろーという指摘は話を分かりやすくするためにとりあえず置いておきます。)

ただ、3年で7300時間をこなそうとすると、1日6〜7時間読書をしなければいけない計算になるんですよね。学生ならまだ何とかなるかもしれませんが、もちろん社会人にそんな時間はあるはずもなく。

しかしながら、手のひらを返すようですが、頭を良くするために何も社会人が7300時間もこなす必要はないのです。なぜなら、自分たちにはある程度蓄積された知識があります。学校教育に始まり、社会人での経験もそうです。7300時間の中には自分たちが既に同じように使っている時間があるはずなので、全てこなす必要はありません。そして何より、社会人だからこそ、『目標を定めて効率的かつ戦略的に学習を進める』という方法を選択することが出来ます。決められた学習を全てこなさなければいけない学生と比べて、ここが社会人の大きなメリットですね。

なので、目標は7300時間の3分の1、約2433時間を目指します。3分の1というのは適当です。単純計算で、1日2〜3時間こなすことが出来れば達成可能な数値です。休日にまとめてやってしまうことも考えれば、十分達成可能な数字ですよね。

ところがまたここで1つ課題があります。それは、ただ本を読むだけで頭がよくなるわけがないという点。よく勘違いをしている人がいますが、同じ本を読むという行為でも、読書と勉強は全くの別物。ただ読書するという行為はあくまで本を読んで楽しむことが目的で、頭は自分の好きなパートに集中している状態です。難しいところや面白くないところは読み流しても良いのです。それに対して、勉強のための読書は、難しいところも頭をフル回転させてしっかりと理解しようとする、痛みを伴う読書です。『秀才』を目指すのであれば、もちろん後者の読み方をしないと意味がありません。

ではでは、一体どのようにして読書を進めていけば良いのか。

自分が考えた案は、これ。

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

言わずとしれた名著、『本を読む本』です。ここにある読書法を活用して、効率的に知識を吸収して頭をブラッシュアップいくのです。以下、1年毎に何をすれば良いか、具体的に記していきます。
(ちなみに、本を読む本の中身については詳しく触れないので気になる人は買ってみてください。Webではここに内容がまとめられています。)

1年目:点検読書でとにかくたくさんの本に触れ、自分の見識を増やす。

1年目は下地作りの段階です。凡人の自分たちは、あまりに世の中のことを知りません。新聞に載っている利上げの話や貿易赤字の話、企業の戦略や国際情勢、読んでもきちんと理解出来ない人は案外多いはずです。とりあえず1年目は、新聞を読んで「あー、そういえばこれに関係することがあの本に書いてあったなー」と思い出せるレベルまで持っていきます。目的は2つで、

1. 世の中のことについて、とりあえず一通りなぞってみる
2. それによって自分の興味のベクトルがどこにあるかを見定める

ことです。点検読書なので、書いてある内容について自分の中でいちいち深く自問自答したりする必要はありません。とにかく情報収集を優先。1日2時間くらいのペースで、1年で100冊程度読むことが出来れば、ある程度上記2点を達成することが出来るのではないでしょうか。これが出来れば次の段階です。

2年目:自分の興味がある分野について、分析読書で更に見識を深める。

1年目に上記のプログラムをこなすことが出来れば、次はその中から興味の絞り込みを行っていく段階です。

何故絞り込みが必要か?その答えは簡単で、まんべんなく勉強していては小さい頃からの蓄積がある秀才たちには勉強量で勝つことが出来ないからです。なので、ここは社会人ならではの選択と集中を戦略的に行っていくわけです。1つの分野に絞り込めば、秀才を越えることが出来る可能性もぐんと高くなります。

政治、経済、経営、国際、文化、芸術、数学、IT…ジャンルは何でも良いのですが、これなら続けられそう!っていう分野をまずは1つ選びます。そして、経営なら経営の名著と呼ばれる著作に順番に当たっていく。すでに点検読書済みの本でも大丈夫です。むしろ理解を深めるためにはそっちの方がいいかもしれない。そして飽きっぽい人はもう1つくらいは分野を増やしても良いかもしれません。

とにかく自分の分野について書かれた本を、読んで内容を理解して、批評する。今回は点検読書ではなく分析読書なので、しっかりと著者の言いたいことを理解して、自分なりにそれに批判を加えて議論を深めていかなければいけません。それを1日2時間1年間続けると、その分野についてかなり詳しくなれるはずですね。ここまでくると、後は仕上げの段階です。

3年目:興味がある分野の中でも特に関心のあるトピックをピックアップし、シントピカル読書で知識を使いこなせる”知恵”へと変遷させる。

2年目までのプログラムを修了すれば、かなりの知識量がついているはずです。しかし、知識を持っているだけでは秀才にはなれません。それを使いこなすことが出来なければ、それはただの批評家です。

なので、3年目は今までに得た知識を”使いこなす”ということに特化した特訓を行っていきます。そのヒントとなるのが、『シントピカル読書』だと考えました。

シントピカル読書とは、あるテーマについて書かれている2冊以上の本を読んでいき、それらの本には書かれていないテーマを見つけて自分の考えをまとめる読書方法です。(出典:はてなキーワード

ちょっと手法がややこしく耳慣れない言葉だと思うので、詳しい方法は本を読んでみてください。(丸投げ)

1つのテーマについて複数の文献に当たり、それらの本に書いていないテーマを見つけ出すというその作業は、まさに今までの知識を照らし合わせることで新しいモノを想像しようという知的生産作業だと思うのです。ジャンルとしては、2年目で選んだテーマから更に絞り込んで行うのが良いでしょう。(経営ならイノベーションアントレプレナーシップ、など。)

それを1日2時間ずつ1年間完遂することができれば、晴れて2433時間を達成。これで貴方も秀才の仲間入り!というわけです。

***

以上をまとめると、

1. まずは本を読む本を読んでみよう
2. そして1年間とにかく本を読みまくってみよう
3. その後2年間、選択と集中作戦で1つのジャンルについて独学で極めよう

ということですね。うん、シンプルです。

大事なのは、2年目以降本を読む時は常に頭をフル回転させること。筋トレと同じで、脳も辛い思いをしないとなかなか活発になってくれないものだと思います。一方で、ハードな努力を重ねて行けば必ず結果はついてきます。秀才はそれを小さい頃から自然体で行うことが出来ていた、ただそれだけ。スポーツと違って頭は年をとってもまだまだブラッシュアップすることが出来る。あとは自分のコミットメント次第だと思います。

自分には上記プログラムを完遂することはとても無理だと思いますが、少しでも頭が良くなるように頭の筋トレを続けていきたい次第です。

もしチャレンジしてみたい人がいらっしゃれば、是非挑戦して結果を教えて頂ければと思います。


以上。


※尚、上記方法は凡人なる自分が空っぽの頭を使って妄想を重ねた机上の空論であり、効果を保証するものでもなければ実現性の検証もしておりません。要はただの空想ごっこです。その点ご理解頂ければと思います。

残業規制の中に身をおくといかに自分が非効率な働き方をしているか見えてくる

実はただ今自分の勤める会社は目下残業規制中で、基本的に残業をすることが出来ません。

即ち、毎日がノー残業デイです。

毎日定時で帰れるなんて羨ましい!と端から見てると感じるかもしれません。自分も早く帰りやすくなってラッキーと少し思っていました。しかしながら、これがなかなかきつい。

考えてみると、今まで残業を前提として回してきた仕事を、量は変えずに定時内におさめろという話なのですからきついのは当たり前です。うまく計画通りに仕事を進められている時はいいですが、打ち合わせが立て込んだり、急な仕事やトラブルが入ってしまうと忽ちてんやわんやになってしまいます。

こういう状況下なので、仕事をする身としてはいつも以上に仕事の量や進捗状況を管理しないといけない状況です。ただ、きつい一方で今回の残業規制の中で働き方について色々と見直せそうなことが見えてきました。それが下記の3つです。

1. 作業レベルでスケジュールを立て手帳に記し、実績はメモして振り返りをする

きちんとスケジュールを立てて仕事をした方が良いと頭では分かっていても、手帳には会議の予定だけで、どの作業をいつするかはその日の気分で決めたり、頭の中でぼんやり考えているだけ、という人は多いのでないのでしょうか。ただでさえ忙しい中スケジュールを細かく立ててる暇がないと感じるのは最もですが、実はそれが作業効率を悪くして更に忙しくなる要因になってりまっている…ということはよくあると思います。

残業が禁止になって以来、1つの仕事のデッドラインに基づいてそれに必要なタスクを箇条書きし、スケジュールに何をいつまでにするかをメモして頭の中で仕事の流れを具体的にイメージすることを心がけているのですが、これが仕事の進捗を管理するのに意外と役に立っています。加えて、仕事をしながらその日行ったことを時間単位でメモして、1日の終わりにそれを見ながら振り返ってみると自分が何に時間を使っているのか、削れそうな作業はないか、といったことが一目瞭然になります。

基本的なことですが、忙しい時や時間がないときこそ、基本に立ち返ってスケジュール立てを行うことをお勧めします。

2. 優先順位をつけ、大事なところは時間を多く確保して、手を抜けるところは必要最低限のことしかしない

際限なく時間があるときは、その仕事も納得いくまで考え抜くという手法がとれますが、時間が限られているとそういったことは出来ません。そもそも、日本人が長時間労働してしまうのはこの辺りのメリハリがないからではないでしょうか。

最近自分が心がけているのは、1)本当に大事なことは1日がかりで集中して取り組む ということと、 2) 重要でないことは短時間で納期を区切ってすぐに片付けてしまう ということです。

仕事というものは、案外力を入れてやらなくても誰も困らないことはたくさんあります。もちろん、本当にこれをやる意味があるのか、という仕事も。

そういった要素を嗅ぎ分け、優先順位付けと力配分を考えることはとても大切だと感じています。周りを見るとどうも真面目すぎるのではないかと感じる人も多いですが、奴隷じゃないんですから全部の仕事に100%力を注ぎ込む必要は全くないです。

ザッカーバーグ氏もいうように、”Done is better than Perfect”なのです。

3. 考えるのに時間を使わない。時間を決めて無理矢理区切る

多くの人が残業をしてしまう原因の大きな要素を占めるのが、この『考える時間』だと思います。メールの返信を考えるのに30分も1時間もかけたり、とある案件について思考を巡らせていたらいつのまにか夕方になっていた、といった経験がある人もいるのではないでしょうか。

『考える時間』というのは一見不可欠で、とても生産的な印象がありますが、実は多くの場面でそれは時間を浪費するものでしかありません。世の中には考えて答えが出ることと出ないことがあり、考えても仕方がないことに時間をつぎ込んでしまうのはやはりもったいないことです。

なので、解決策としては、予めデッドラインを設定してしまう。そして、時間がきたら頭を切り替えて次の仕事に取りかかる。どうしても考えたければご飯食べてる時とか帰りの電車で考えごとをすれば良いのです。せっかくのデスクに座っている時間、頭の中でタイピングするだけではもったいないというものですよね。

あとは積極的に他人の頭を借りること。最近はこれはどうも自分の頭では解決できそうにない!と思ったらリーダーや先輩に早めに相談してアドバイスを請うようにしています。変に優等生ぶらないで、時には甘えてみるのも仕事を捗らせるポイントだと思います。


以上3点、最近心がけてますが、意識し出すとだんだんと捗ってくる感覚が掴めます。

何事も基本が一番大切ということで、長時間労働に悩まされる人は一度試してみればいかがでしょうか。


以上。

mixiは果たして復活することが出来るのか

mixiの業績が芳しくない昨今ですが、なかなか面白い見方だなーと思った記事を発見。

SNS衰退の理由を考えるとどうしても「人間関係に飽きた」に行き着く

タイトルそのまんまなのですが、mixiが落ち目なのは機能や思想云々よりも、単にマイミクとの人間関係に飽きたので新しいサービスを使って新しい人とのコミュニケーションを楽しんでいるだけなのでは、という考えを綴ったエントリーです。

これはもう完全に感覚だけで言っているのですが、mixiのメインターゲット層である日本の若者は、「人間関係が恒常安定化した状態」に長く浸かることに慣れていない。
日本社会というものは、小学校、中学校、高校、大学…と数年スパンで人間関係が強制的に刷新されるシステムになっており、それはリアルだろうがwebだろうが同じだろう、という推論です。

なので、数年レベルで続く人間関係は一度清算したいという本能が働くのではないかと。

という分析がありますが、根拠がない割には腹落ちする主張だなーと感じます。実際に自分がFacebook使ってるときに誰の顔をイメージしているかというと、主に大学を卒業して会社に入ってから出来た友達、即ち会社の同僚がメインです。一方でmixiは学生時代の友人が多いですね。周りを見ててもFacebook上で学生時代の友達だけでやり取りしている人は少ないので、そう考えるとこの推測は結構当たっているのかもしれません。もしそうならFacebook絶頂期の今、Google+Facebookに取って代わるのはもうしばらく時間がかかりそうですね。アメリカなどでFacebookからGoogle+へユーザが移行し始めているという噂(あくまで噂)も聞いたことがあるので、いずれはこういう流れになるかもしれませんが。

では、こういった潮流の中、果たしてmixiは盛り返すことが出来るのか。

一旦衰退してしまったSNSがもう1度ユーザを取り戻すには、かなりの労力が必要となります。現在mixiは『タウン構想』を掲げソーシャルコマースの導入等目下構造改革中ですが、肝心のユーザを確保できないとタウンが完成しても人が住んでいないゴーストタウンだったということになりかねません。これについては大西宏氏も不安をブログにまとめられています。

ミキシーのタウン構想は今ひとつに魅力を感じない

個人的には、純和製SNSであるmixiの復活を願ってやみません。

他社と機能面での差別化はあまり望めないと思うので、後はどういったマーケティング戦略をとっていくかだと思います。頑張ってほしいところですね。


以上。

ディベート思考を身につけると色々と捗るぞ

先日久々に学生時代にやってた英語ディベートの大会を見学しに行ってきました。

自分がやってたのはParliamentary Debateという競技でして、イギリスの議会をモデルとして生まれた競技で、その場で出されたテーマに対して肯定側•否定側に分かれ、壇上で順番に7分程度のスピーチを行っていくというスタイルです。詳しいルール等はこちらのページに書いてありますが、なかなか刺激的な競技で学生時代は随分とのめり込んだものです。

ディベート思考といえば、いつも読ませて頂いているブログでこんな記事が人気になってました。

論理的思考を鍛える5つの反論のパターン/「きのこVSたけのこ」論争に終止符を!

1.No reasoning (論拠がない)
2.Not true (うそだ)
3.Irrelevant (無関係だ)
4.Not important (重要ではない)
5.Depend on *** (○○による)

という5つの反論のスタイルをキノコの山とタケノコの山という身近な例で説明してくださっている良記事ですが、実は文中にもある通り競技ディベート経験者なら誰しもが目にしたことのある基本知識。更にディベート思考について言えば、最近流行の瀧本先生が下記の新書も出しています。

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)

この本では反論の仕方はもちろん、メリットとデメリットの比較であったり、そもそもの議論の組み立て方など、論理的な思考法とそれに基づく決断思考について詳細に説明がされています。しかし本書の内容も、競技ディベート経験者であれば一通り聞いたことはあることでしょう。

こういった論理的思考法についての記事や本が人気になるってことは、世の中が相変わらず論理的な思考法とはどのようなものか、どのようにして身につければ良いのか、ということに関心を持ち続けているということなんでしょうね。逆にいうと、多くの人にとってはディベート的思考法というのは少し珍しくて、実は知りたいという需要があるものなのかもしれません。

もしそういう人たちがいるのであれば、自分は声を大にして言いたい。

ディベート思考は捗るぞ』

と。

あえて上記で紹介した2つで触れられていないことを書きますが、自分がディベートをやってて良かったと思うのが、

『戦略的思考法』

が身に付くということ。競技ディベートというのは勝つための競技ですから、当然参加者は自分たちの議論が相手より勝っていると証明するために常に頭を回転させています。では、ディベートにおける『勝ち』とはどのようにして判断されるか。

その判断は「Adjudicator」と呼ばれる審判(ジャッジ)が行い、肯定側•否定側の意見を客観的に聞いて議論の優劣を判断するのですが、その判断基準というのは『クラッシュ•ポイント』と呼ばれる議論の中でも特に紛糾して意見が分かれるポイントにあります。例えば、TPPについてディベートするのであれば、自由貿易の恩恵をとるのか、自国の農業の保護をとるのか、といった議論の核ともいえるポイントです。

もうちょっと身近な例で考えると、例えば「新婚旅行に海外へ行くか、国内へ行くか」という内容を議論していたとしましょう。それぞれにおける主張としては下記のようなものがあります。

<海外>
•働いていると長期休暇を取る機会が少ないので、普段は足を運べない海外に行くべき!
•一生に一度の経験だから、普段とは異質な空間で特別の思い出を作るべき!
•円高なのでこの機会を活用すべき!(11年2月時点)

<国内>
•経費が少なくて済み、同じ予算で超高級ホテルに泊まれる!
•言葉も通じるので、旅先でのトラブルが少なくて済む!
•比較的直近でも予約がとりやすい!

ここでの議論におけるクラッシュポイントは、色々な考え方があると思いますが、自分がピックアップするとすれば「ハネムーンに何を求めるべきか?」という点ですね。「特別な思い出」を求めるのであれば海外ですし、「コスパが良くて安全快適な旅」を求めるのであれば国内です。ディベーターは、ハネムーンと普通の旅行との違い等を分析•比較しながら、どちらがハネムーンにふさわしいシチュエーションなのかを証明してみせなければいけません。そのためには、予め来るであろう反論を予想し、自分たちの勝ちパターンを頭に描いておく必要があります。

例えば、海外派の人であれば、

「確かに結婚式後でお金は少ないし、トラブルで新婚早々喧嘩する可能性もある。しかし、お金は後で頑張って働けば貯めれるけれども、新婚旅行は一生に一度。普通の旅行とは位置づけも違う、二度とない希少な機会。それであれば、多少無理しても海外の異質な空気の中で一生忘れない思い出をつくるべき。喧嘩したとしても逆にそれが良い思い出になるし、トラブルを自分たちで解決することで更に中も深まるかもしれない。」

って感じでしょうか。お金と機会を希少性という観点から天秤にかけてみました。若干プアな主張な気がしますが。(妙案募集)


これは身近な例ですが、もちろん仕事にも同様の考え方を適用することが出来ます。要は、

1. 俯瞰的にテーマを見つめ、議論の中で核となるポイントを予め予想する
2. そのポイントに対するこちらの主張と、想定される反論、そして反論に対する反論を考える
3. 最終的にどの要素をタイブレーカーとして担ぎ出し、いかにして自分の主張を正しいと証明するか戦略を練る

というプロセスを回すのです。これがまさに『戦略的思考法』です。どのようにして自分の議論の方が正しいと思わせるかを予め構想しておく。そして、最大限に相手の議論を取り込みつつ、仮に相手の主張が正しかったとしても、自分の意見を採用すべき理由をうまく魅せる。ここでいう「反論」を「リスク」に置き換えて考えると、ビジネスをしていく上でも応用できるかもしれません。こういった思考法はディベートをやってると自然と考えられるようになってくるものであり、使いこなせれば瀧本先生がいうように、まさに『武器』となることでしょう。

とはいえ、実際仕事で活用するのはなかなか難しいです。自分の業務をなかなか客観的に見れないこともあれば、上司からの反論で自分の戦略が全て吹っ飛んでしまうこともありますし、仮に論理的にこちらの言い分が正しかったとしても自分には抗いようもない政治的な力に押しつぶされてしまうこともあるでしょう。また、知っていることと使いこなすことは全く別で、いざ実践の場に立つとどうも頭が固まってしまうことも多々あります。(←自分のことです)

それでも、ディベート思考を身につけることは人生の色々な場面で役に立つことでしょう。さっきの旅行の例もそうですが、日常には判断すべきことや相手を説得しなければいけないことがたくさんあり、それを出来るかどうかは偏に自分の頭でどれだけ考えられるかにかかっているのです。流れに任せる議論をするのはもうやめて、戦略的な思考を日常に導入してみてはいかがでしょうか。


以上。