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ヨーロッパ在住の会社員の雑記帳です。ジャンル問わず好きなこと書いてます。

「育児休暇」は当然の権利か否かと言う議論について

少子化に歯止めがかからない中、少しでも子育てのしやすい環境をつくり出そうと様々な取り組みが始められている昨今ですが、いつも通りはてぶサーフィンをしているとこんな記事を発見。

育休フィーバーの影で犠牲を強いられる“正直者”たちの鬱屈「働き方の多様化」では済まされない取得者たちの軽さ

要約すると、ひとえに「今の若者はあまりにも安直に育休を取得する=育休を当然の権利だと思っている」というポイントを問題視しているというお話。ややヒステリックな口調で議論が展開されているのですが…世代間の価値観のギャップなのか自分にはどうも解せない点が多いです。

確かに、仕事のことそっちのけで育児を理由にイイトコ取りだけしようというスタンスは良くない。それは非常に共感出来ます。働く気がないなら、育児休暇取るんじゃなくてさっさと辞めてしまえという話ですもんね。でもこの記事からは、そんなことではなくどうしても越えれない価値観の壁というものを感じずにいられません。

まずは下記の一文。

「育休だの、時短だの、ワークライフバランスだの、あれやこれや制度ができるのは悪いことだとは思いません。でも、会社員なんですから与えられている仕事の責任を全うして、初めて権利を主張すべきだと思うんです。なのに、最近の若い世代は、明らかに仕事よりも家庭の優先順位が高い。仕事から逃げてる。私にはそういうふうにしか思えないんです」

なるほど。では続けて読んでいきましょう。「育児」を特権のように振りかざす人が増えているという主張に続き、こんな一文が出てきます。

 「なぜ、若い女性たちは母親の代わりはいないと断言し、仕事の代わりはいて当然と信じ込んでいるのでしょうか。何か違うんじゃないかって、思えてなりません。休んだ彼女たちの仕事は、誰かが穴埋めしなきゃいけない。だったら、子育てに保育園とかベビーシッターとか、公的な機関も含めて利用して、できる限り早く仕事に復帰すべきです。たとえ自分の稼ぎのほとんどが子供を預けることに使われることになったとしてもです」

これはその通りで、休んだ人たちの仕事は他の人が代行しなければいけません。それは事実。しかしながら、こういう言い方をされると「じゃあ他の人の負担を考えて子どもの数を減らせっていうんですか?」と言いたくなります。公的な機関を利用して早く仕事に復帰…とありますが、周知の通り皆が皆保育園に入れるわけではありません。待機児童は2011年4月時点で2万5千人以上。仕事に復帰したくても、子どもの預け先がなく休職を続けざるをえない人もたくさんいると思います。金銭面の都合により家庭に残らざるを得ない母親もいることでしょう。そういった各自の事情も考慮せず、おしなべて「早く仕事に復帰すべき」とする論調はいかがなものかと感じます。

更に続いてはこのようなコメントが。

実は、彼女自身も、産休と育休を利用している。しかし、制度をフルに利用すれば出産前後で1年半以上も休むことができたにもかかわらず、出産予定日の3週間前まで働き続け、産後10週間で復帰したそうだ。

 「子育ては大切。でも、自分はしょせんサラリーマン」――。こんな思いがあったから、そうしたと言う。「サラリーマンの義務」を、できる限り果たそうとしたわけだ。

 ところが、最近はその「義務」を果たそうとしない人があまりに多く、「子育て」という、誰も反論できない理由を盾にする社員たちに、ほとほと嫌気が差していた。そこに、「仕事の代わりはいても、母親の代わりはいない」との発言が、とどめを刺した。

 子育てのために会社があるわけじゃない――。

 子育てと仕事を両立してきたという自負があるだけに、聞き流すことができなかったのだろう。

ここまで読んで気づいたのが、そもそも上記のコメントが発せられた背景というのが、「自分は苦労したのになんで今の子は楽ばかりしているんだ」というある種の嫉妬心から来ているものではないのか、ということです。

個人的に一番びっくりしたのが「しょせんサラリーマン」とか「サラリーマンの義務」という言葉で、自分ら世代からすると多分相当違和感のある言葉なのではないでしょうか。もちろん労使の契約があるので勤めを果たすのは当然ですが、雇用者と労働者はあくまで対等な関係で、本来はその契約が家庭等プライベートな生活を過度に束縛するものであってはならないのではないでしょうか。「サラリーマンの義務」といった言葉はいかにも日本人の社畜万歳的な風土に根ざした考え方であり、サラリーマンがとにかく仕事に没頭して滅私奉公するのは、個人にとっても会社にとってもよくないことであるはずです。そして、「育児を早く切り上げて仕事に復帰しろ!」という考えは、そういった日本的な価値観の押し付けに他ならない…とどうしても感じてしまうのです。

繰り返しますが、育児という権利を振りかざして仕事の手を抜くのはもっての他です。社会人として常識はずれの行為でしょう。

しかしながら、育児休暇を取得する社員が全てそのようなモンスター社員ではなく、むしろ育児と仕事を両立させたいという思いからこの権利を行使する人がほとんどだと思います。そんな社員を、「周りの人のことも考えないで…」と批判することはどうも解せません。そもそも、育児を頑張ってる人が「カバーしてくれている人たちの気持ちを軽んじている」という論拠はどこにあるのでしょうか。

代わりに仕事を回すのは辛いということはその通りなのですが、批判すべき対象は育児休暇を取ったり時短で早く帰る人たちではなく、むしろそれを何とかしようとしない会社のマネジメント、あるいは待機児童など育児にまつわる問題をなかなか解決できない行政であるべきです。5人のチームから1人抜けると5人分の仕事を4人で回さないといけませんが、例えば休職者に在宅勤務を許可して一部業務のフォローに入ってもらったり、一時的に社員を雇う、配置換えを行う、などをして他のメンバーの負担を軽くすることは会社の裁量でいくらでも出来ることです。

何でもかんでも「最近の若者は…」と批判から入る前に、まずは本当のあるべき姿は何で、それに向けて何をすれば問題を解決することが出来るのか、という検証作業を行っていくべきなのではないでしょうか。

とまぁそんな感じで読み進めていたのですが、最後の最後でようやく意見が合いました。

ここまでやる覚悟を持てる会社は、どれほどあるのだろうか。その覚悟もないままで、「男性も育休をもっと取りなさい」「女性も育休や時短勤務をもっと取りなさい」といった聞こえの良いことばかりを並べるのは、どうなのだろうか。

 すべてがトップの責任と言うつもりはないけれど、単に「価値観や働き方の多様化」という思考停止ワードで片付けてはいないだろうか。

(中略)

だからこそもっともっと根本的に、会社のあり方、働き方、働かせ方を、考えなきゃいけないんだと思う。「価値観の多様化」や「働き方の多様化」といった思考停止ワードを使わないで、とことん正面から考えないと、どんなに良い制度も機能しないし、人間関係だって悪くなる。

これは本当にその通りで、こういった不満の出てくる根本的な背景は企業のマネジメントそのものにあると思います。これからは世代間の価値観のギャップだけではなく、外国人社員との文化的な価値観の違いなど解消しなければならない課題も多く、ダイバーシティマネジメントの意義が一層に深まってくると思います。育児休暇だけでなく、介護休暇を取る中高年の方達も増えてくるでしょうしね。

育児休暇は、優秀な社員の雇用維持という観点から間違いなく企業にとってメリットの大きいものです。そのことを会社のトップが十分に認識した上で、各社よいマネジメントを展開していくことができれば、もっとみんながハッピーになれる環境づくりが出来ると感じます。


以上。