世界は楽しみに満ちている。

ヨーロッパ在住の会社員の雑記帳です。ジャンル問わず好きなこと書いてます。

I’m not as smart as I thought I was

はてなブックマークで人気になっていた記事、

『僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった』

を読んでみました。

もともとは、『I'm not as smart as I thought I was』というRedditでピックアップされていたものをブログの著者が訳して紹介されてくださったいるのですが、これが何ともまぁ心に響きます。詳しくは語らないのでとにかく読んでみてください。学生の悩みに対する回答を読んで、少し心が洗われたような気がしました。

この『思っていたほどは頭がよくなかった』という現象、学生時代にある程度努力を重ねてきた人であれば、どこかでぶつかってしまう問題の1つだと思います。

自分自身、高校までは英語が得意で他の人に負けない分野と位置づけていましたが、大学に入ると似たようなレベルの人はごろごろいますし、会社に入るとむしろ自分より英語が出来る人ばかりで、逆に自分が一番英語が下手といった現象が起きてしまっています。もちろん、大学生にして感じましたとも。『ああ、自分は思っていたほど英語が得意ではなかったんだなぁ。』と。そして、他の人より劣っていることを是としてしまっている自分がいます。

そんな自分に喝を入れてくれたのが、下記の一節。

「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないからです。君は、自分は燃え尽きてしまった、あるいは、燃え尽きてしまうかどうかの岐路に立っているという風に感じています。でも実際には、燃え尽きることにするかしないかを決断する岐路に立っているのです。これが決断であるということを認めるのは怖いことです。なぜならそれは、君にはなにかをする責任があるということですから。でも、それは力が湧いてくる考え方でもあります。君にできるなにかがあるということですから。

「頭がよい」というのは単に、「とても多くの時間と汗を費やしたので、難なくやっているようにみえるまでになった」ということを言い換えているに過ぎないー

返信されている方のエピソードの中に、微分方程式に悩んでクラスの優秀な友人に助けを請いにいった際、頭の回転が速くなければ理解出来なかったことなど1つもなかったという話があります。この経験から、頭の良い人の知性の実績は、修行と鍛錬の成果であると結論づけています。

自分も頭を良い人を見るにつけ、もともとの才能や出来が違うと思ってしまうことが多いのですが、それ以上に自分とは修行と鍛錬の数が違うのではないかと感じます。

しかしながら、結局のところ天才というのは一夜では完成せず、長期間ずーっと努力したことが蓄積されていくことで問題対処能力が向上していくんだなーということを思い返せたのが今日の学びです。周りは結果しか見えないのでなかなかこの辺りに気づけませんが、きっとそういうことなんだと思います。

以上。